いつもお読みいただきありがとうございます。
オナコラ.comのK子です。
今までこのオナコラでは主にオナニーについて複数の角度からお話をしてきたつもりなのですが
今日からは週に1度程度ではありますが「羞恥の歴史」についてもお話をしていこうかなと考えています。
(そもそもなぜ羞恥の歴史について語ろうと考えたのかというのは以前のこの記事をお読みいただければ幸いです)
なぜ週に1回なのかって…それは…参考文献が思ったより難しいからです(`・ω・´)キリッ
(見栄張って変な嘘つこうとしましたがやめました!)
でも諦めるのは嫌なので、ちょこちょこですが意訳して書いていこうと思います!
みなさまは古代ローマの遺跡の中に「公衆浴場」の遺跡があるとご存知でしたか?
古代ローマでは、入浴という行為は古代哲学者でも自らを許していた数少ない”娯楽”でした。
当時のデフォルトは、今となっては(けしからんが)男女混浴!
ローマ時代の末期に発達したキリスト教の初期の信者は
「男女共用なんてありえない!」という感想を持っていたので彼らの間では
「女の人が公衆浴場に出入りする=離婚の正当な理由」とみなされていました。
(現在の「旦那が風俗に通ってたら離婚する。」の逆バージョンだったんですかね)
その後何百年か経って、
教皇や聖職者さん方が何回も会議を重ねたうえでやっと男女混浴はいったん廃止になるのですが
12世紀(1101年~1200年の間ですね)、
「キリスト教を世界に広げなければ!」ということでアジアに出兵した十字軍が
皮肉なことに男女混浴の習慣をもちかえってしまうのです。
なので変な話中世までは少しの間を除いて基本は「男女混浴」だったわけです。
中世、現在のドイツにあった神聖ローマ帝国の創始者、カール大帝(シャルルマーニュ)は
お風呂が大好きだったという逸話もあります。
御子息をはじめとして、騎士も一緒に大浴場で入浴したという記録もあるのです。
庶民の間では男女関係なく、お風呂の習慣は受け入れられていましたが
中には現在のように「大衆浴場に行くのが恥」だった人も実はいます。
キリスト教の修道女や聖職者です。
修道女が「つつしみのない恰好で」入浴しているところを見つけられてしまうのは
それはもうスキャンダルだったのです。
(A○Bの子に実は彼氏がいてお泊まりデートをしていた…のようなものですかね)
一生入浴をしなかったという聖職者もまれにいます。
でも不潔なので一生しないっていうのはあまりなくて、
修道院の中でも入浴をみとめている修道院も実際にはあったのです。
ローマから中世まで羞恥心というものは主に
「キリスト教の女性が、自分の裸体をみられたくない」ためにあったと考えられますね。
あくまで、羞恥心を感じていたのは「敬虔なキリスト教徒の女性」だけだったので
男性が性器を風呂場で露出することに関しては何ら羞恥心といったものは
存在しなかったのではないでしょうか。
この時代にオナクラをやったとしてもあまり儲かる気配はありませんね。
むしろ「キリスト教の女性のオナニーを鑑賞する」お店があったら逆に儲かるかもしれませんね。
そもそもこの時代のキリスト教(しかもカトリック)の女性はまずそんなことは絶対にしないでしょうけど。