前回コラム【江戸時代の人にとってオナニーとは?】のコラムでは
江戸時代の人々の意外な性文化を垣間見ることができましたが
そこでK子が思った素朴な疑問
「なんであんなにあっけらかんだった江戸時代の性文化が
明治時代になったら「君はこの花に似ているね(※前回コラム参照)」になってしまったんだろう」
この理由には、西洋からの反オナニー思想が日本にも”輸入”されて
文学作品にも性表現の規制がさかんに行われたからだといわれています。
(ちなみに余談ですが、思想も”輸入”されるものです。
仏教、キリスト教などの宗教が最も代表的な思想の輸入ですが
身近なところだと、日常会話でよく我々が使っている「奇跡」という言葉
これも、キリスト教とともに日本に新しくやってきた概念です)
話が逸れましたが、明治時代の文学の正表現規制の一例を見てみましょう。
文章は森鴎外先の『ヰタ・セクスアリス』から。
(※全体の内容に興味があるという方は『ヰタ・セクスアリス』から)
僕はこの頃悪いことを覚えた。
これは甚だ書きにくい事だが、これを書かないようでは、こんな物を書く甲斐がないから書く。
西洋の寄宿舎には、青年の生徒にはこれをさせない用心に、両手を被布団の上に出して寝ろという規則があって、
舎監が夜見廻るとき、その手に気を附けることになっている。
…ここでいう悪いこと=オナニーなのです。
この文章が掲載された雑誌はすばる(明治42年7月号)という名前なのですが
こんなに回りくどい表現でオナニーに触れていても
1ヶ月後に発売禁止
になってしまったそうなんです。
このように出版物などで性表現が規制されることで
性について口にすること=悪
という概念が主流になっていったんでしょう。
うーん…名作の中にはなかなか生々しい表現のものも多くあるのですが
むしろ生々しいからこそ魅力ある作品というのもあるようにK子は感じる所存です。
(余談ですが、自分の読書歴の中で最も衝撃的な作品は「ロリータ」です)